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太極拳の歴史

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太極拳の套路 北京・香山にて

元代、張三豊が少林寺で武術を修めた後に武当山に入って修行し、道教の陰陽五行思想や吐納法と呼ばれる呼吸法を取り入れて編み出したとされている。但し、張三豊は中国の他の伝説にも現れる不老長寿の仙人の名前であり、この説については伝説の域を出ていない。

少林拳等が外家拳と呼ばれるのに対して、太極拳、形意拳、八卦掌等は内家拳(武当門)と呼ばれることがある。中国武術の全国的統一組織であった南京中央国術館の武当門の門長に楊氏太極拳三世の楊澄甫が就任しているが、後に各門派ごとの組織に改められ、武当門は廃されている。

考証学の祖である黄宗羲が記した王征南墓志銘には、北宗代に張三豊が内家拳法を創始し、王征南はその使い手であると記されており、その拳法の詳細を、黄宗羲の子息である黄百家が「内家拳法」に記録している。内家拳法と太極拳、紀効新書の拳経との関係を考察する研究がある。

その他の起源については、明代に河南省温県常陽村(現・陳家溝)に強制移住させられた陳一族に家伝として伝えられていた武術に、陳氏9世・陳王廷が様々な武術の要素を組み合わせ、明代末期から清代初期にかけて創始されたとする、武術史研究家・唐豪の研究がある。

その後清代末期に入り、陳氏14世・陳長興の弟子だった楊露禅が、北京に赴きこれを普及。武術理論として王宗岳の『太極拳論』が重視されたため、そこから取って『太極拳』という名称が用いられるようになったと言われる。現在では、陳家太極拳、楊式太極拳、武式太極拳を始めとして様々な門派が存在する。

一方、太極拳の健康効果は古くから知られていたが、その習得は容易ではなく、万人向けと言えるものではなかった。そのため中国政府・国家体育運動委員会は、第二次世界大戦後、伝統拳の健康増進効果はそのままに、誰にでも学ぶことのできる新しい太極拳を作ることを計画。著名な武術家に命じ、楊式太極拳を基に簡略化した套路を編纂、1956年に簡化太極拳(二十四式太極拳)を制定した。これが制定拳の始まりである。制定拳という名称は本来、「国家が制定した套路」という意味を持つ。

制定拳は一種の健康体操として世界的に広められ、またそれと並行して競技化や新たな套路の編纂も行われていた。現在はグループ表演や競技会も盛んに催されるなど運動競技としての一面も強くなり、その一方で、武術的な側面から制定拳を再編する動きも生まれている。

日本においては楊名時が1970年に簡化太極拳を紹介しており、その後1972年の日中国交正常化を機に、来日した中国人教師などから太極拳の存在が徐々に知られるようになった。また中国政府の普及政策によって中国から太極拳を持ち帰る日本人も現れ、健康体操としての制定拳が広まっていった。激しい運動を伴わず場所を選ばずに容易に行えることから高年齢層を中心に人気となり、現在では全国に草の根レベルで太極拳教室が存在している。

(出典:Wikipedia)

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